

二口 晴一
フタクチ セイイチ
テレマンアンサンブルで演奏活動を始め、1987年「ソウル国際音楽祭」にソリストとして参加。同年リサイタル開催。その後、ヒストリカル楽器奏者として、各地の音楽祭に参加する他、東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ、バッハ・コレギウム・ジャパンに参加、BWV.155のオブリガートは英グラモフォン誌に絶賛される。2000年に津田ホール、びわ湖ホールにて小林道夫氏、有田正広氏とのヒストリカル楽器によるベートーベンのトリオを演奏後、活動を休止、2015年に再開し、ヒストリカルファゴット奏者として多くのコンサートに出演。2023年にはモーツァルトアカデミー東京のオリジナル楽器によるフォーレ・レクイエムのCD録音に参加。近年はバロックファゴットの修復・リード制作も手がける。
バロック、クラシック楽器演奏、18世紀音楽のスペシャリストとして日本の第一線で活躍し、この間演奏した楽器は11本を数えた。
演奏ピッチはA=392,415,430,440をそれぞれの楽器で吹き分け、楽器調整のノウハウを会得。とりわけバッハコレギウムジャパンのヨハネ受難曲ツアーでは日本人として初めてのコントラファゴットを各地で演奏し、CD録音も残した。
バッハ教会カンタータ全集
Vol.1CD751/Vol.5BISCD841/Vol.8BISCD901/ Vol. 10 BIS951/Vol. 13 BIS1041/ Vol. 14 BIS1031/ Vol. 16 BISCD1131、 Vol.19 KKCC-2344、
マニフィカートCD1011 ヨハネ受難曲BISCD921/2
マタイ受難曲CD1000/2 など
バロックファゴットの運指表などを販売するWEBショップを開設しました。
ひとこと
自分にとって、初のレコーディング仕事がJ.S.バッハのカンターター全集でA=392のバロックバスーンを使うというものでした。
日本にはそんな楽器はないので、フランスからリハーサル開始の少し前に届いた楽器を自分が調整し、吹きこなしてレコーディングセッションをこなさなければなりませんでした。
その後、10年間でバロックコントラを始め、色々な楽器を吹きこなしてきましたが、諸事情により突然活動を休止しました。
もう、自分が音楽をすることはない。と思っていましたが、たった1台、フランス人から譲り受けたTreibert製のオールドバソンを取り出し修復を始めました。なにげなくです。
同時にリードの設計、製作もはじめました。しばらくすると怪しげな音をが鳴り始め、そにうちに「もっと旨く吹きたい、もっといい音がだせるはず」とバソンにハマっていきました。Triebertバソンはそんな気持ちに答えるかのように、徐々に鳴りだしました。Old Bason Duoでは古いBuffetを使いますが、このTriebertは自分の原点ともいえる楽器です。
アンソニー・ベインズの名著「木管楽器とその歴史」には昔のバスーン奏者の音色についての記述があるのでご紹介します。
「山羊のようだ」
「ベーコンを揚げているようだ」「七面鳥が庭を這うような音」
標準以下の奏者はこのように言われていたという。一方で良い音についての記述も。
「まろやかで一杯に鳴る音」
ホームズの音色
「まるで海神(ポセイドン)が語っているようだ」
モーツアルトの協奏作品
中でも一番好きなのはこれ。
「死者の骨のうちにも魂を呼び起こす霊感に満ちた音」
パリの銘器サヴァリーを駆使しロンドンに君臨した名手、バウマンの演奏について。
そのバウマンですらリードの調子が悪い時は、山羊や七面鳥になったらしく、当時からフランス式奏法の気難しさは際立っていたようだ。今も昔も楽器から良い音を引き出すのが音楽家の務めであり、めざす音色は 「人が本能的に心地よいと感じる音」でなければならない。と思うにいたりました。
とはいえ、オールドバソンは気難しい楽器。せいぜい山羊や七面鳥にならないように頑張ります。
ファゴットにはドイツ(ヘッケル)式とフランス式があります。
ボアの形状やトーンホールの大きさなど、基本設計においてバロックファゴットの流れを受け継いでいるのがフランス式バソンです。
それは基本構造や運指を見れば明確にわかります。
それに対してヘッケル式は新しい新発明の楽器なのです。
主な作曲家の生誕年と古典的なファゴットからヘッケル式への移行時期を表にしてみました。
緑色が古典的な楽器、バソンのエリアと時代
赤く彩色した時代がヘッケルが使われた(であろう)時代です。
表を見ればわかるように、現在のオーケストラで使用されている多くの木管楽器の形式は19世紀に発明されました。
ベーム式フルートは1832年
おなじシステムのクラッリネットが1843年
エーラー式クラリネットは意外と新しく1903年
コンセルバトワール式オーボエも19世紀なかば、
ヘッケルファゴットは1870年完成しました。そしてヘッケルファゴットを世界で初めて採用したオーケストラは実はウイーンフィルなんです。今でこそ音楽の都の古い伝統のオケ。というイメージが強いですが、その昔は新しい楽器を真っ先に採用するようなオケだったのです。
マーラーの交響曲第一番の初演(ウィーンフィルではない)時のファゴットはヘッケル式ではなかったのではないか?と想像します。
一方で、リヒャルトシュトラウスの有名なクラとファゴットのドッペルコンチェルトはあきらかにヘッケル式ファゴットのために書かれたコンチェルトです。この曲を献呈された当時のウイーンフィルのブルクハウザー氏の楽器はヘッケルでした。
年表を見ると一目瞭然ですが、ドイツ語圏の作曲家でもそれ以前の作品はすべて「ヘッケル式以外」の楽器を想定して書かれたことが事実としておわかりいただければ、と思います。
その他の地域にヘッケル式が波及するのは、トスカニーニとニューヨークフィルの欧州演奏旅行後、ですからオケの主要レパートリーのほとんどがヘッケルを想定して書かれていないのです。
念のために申し上げますが、自分は決してバソンだけを賛美するものではありません。かつては7900番代のヘッケルを愛用していたので、ヘッケルの良さは充分知っており、彼ら一族が世界のオーケストラに果たした偉大な功績も讃えています。
バロック時代、古典時代のファゴットのサウンド、運指は国によって様々です。きっとその国の人たちが「いい音」と思う音が奏でられていたのでしょう。モーツァルトと親しかったファゴット奏者、リッターなどの音色は「原ヘッケル的なサウンドを持っていた」との記述もあります。
ですから一概にバソンの音が正統だとは言いうのも間違っていると思います。
しかし運指や構造に関して、バソンは極めて古いファゴットに近いのは事実です。これは実際に古い様式の楽器を吹いてみればすぐにわかります。

上から順にBuffet,Buffet,Triebert,buffet
バロックバスーンが登場する前はドゥルシアン(カータル)という楽器が広く使われていました。なかなか機動性に優れており、呼び名の通り独特の甘い音色(dolce)に魅力があります。最低音はCまでで、バロックバスーンのように分割できるカタチではなく一本の木材で作られています。巻束に見えることからこのころからファゴット呼ばれていました。
この楽器のために素敵なソロ曲がたくさん書かれました。
Philipp Friedrich Böddecker: Sonata sopra La Monica fagott solo
(演奏・動画提供:長谷川太郎さん)
ビュッフェがフレンチバソンを考案したと思われる方が多いようですが、当時、パリで最も多く使われていたのはサヴァリーというメーカーのバソンであり、おそらくこれをお手本に色んな製作者の手で近代的なバソンが発展してきたようです。サヴァリー以前は?
盛期バロック音楽の作曲家・フルート奏者として裕有名なオトテール はパリの管楽器職人の家庭に生まれました。
この一族が管楽器発展に様々な形で貢献しており、例えば、フルートを3つの部分に分け、頭 部(マウスピース付き)、胴体(ほとんどの音孔つき)、脚部(いくつかの音孔あり)としたことで、このような分割は、現代のすべての木管楽器に受け継がれています。
ま た、それまでCまでだったドゥルシアン(カータル)の最低音をベルを延長することでB♭にさげたのもオトテール一族の仕事だといわれており、そうだとすれば彼らがバ スーンの生みの親でもあります。これは通常より全音低く調律されたルイ14世のオーケストラに合わせるためだったという説もありますが、ベルを延長した結果、音がよりまろやかになったことも見逃せません。
私は、宮廷内ではドルチアンのオープンな音より、バロックバスーンの音が好まれたのではないかと想像しています。
とにかく、この改良のおかげで現在のバスーンが誕生したわけです。
フレンチバスーンの音色が確立したのは、19世紀後半、プルドン、ポルトーとサヴァリーらの楽器の頃
プルドン
後期18生世紀、パリの著名メーカーはプルドン ティエリオ(1783年頃に死亡)です。ティエリオという苗字でなく、名前(Prudent)で楽器に刻印を押しました。フルート、ピッチパイプ、フラージオレット、オーボエ、クラリネットも制作していました。
演奏記録はBCJ時代のものP.de.Konig製作の5キーのコピー楽器、A=415で演奏しました。
写真は演奏した楽器ではありません。
ポルトー
プ ルドンの死後を引き継いだのが、妹婿のポルトー/Dominique Antony Porthaux (French, ca. 1751–1839 Paris)です。このバスーンの特徴は、ウィングジョイントのスピーカーキーで、 Porthauxのバスーンは19世紀後半に「フランスのバスーン」と呼ばれるようになり、細身のボアでやや鼻にかかったような音色を特徴としました。
ポルトー オリジナル (1820) 7キー
A=415で演奏(津田ホール)
写真は演奏した楽器ではありません。
サヴァリー
Jean Nicolas Savaryは、Savarypère(1778年頃から1827年頃まで)と呼ばれるパリの木管楽器メーカーの息子でした。 Jean Nicolasは、Paris ConservatoireでDelcambreの下で学んだ後 、1823年までに楽器工房を開き、彼の時代の最高のバスーン・メーカーの一人として評判を得ました。
タイガーウッドと呼 ばれる美しいメープルで作られた彼の楽器はストラディバリのヴァイオリンに似ていることから Savary jeuneは、バスーンの "Stradivari"として知られ、ヴァイオリンのように時代を超えて優秀な奏者の手から手へと引き継がれたものです。
サヴァリー オリジナル(1830) A-440で演奏、Salon de ぷりんしぱる
写真の楽器で演奏しました。
トリエベール
木管楽器の世界に次々と新機軸をもたらしたトリエベール家は、もともとドイツの家具職人の一族でした。
オーボエの世界ではトリエベールの発明した「親指板式」オーボエは、弟子のロレーが受け継いでオーボエの主流にまでなりました。これは成功例で大失敗もあります。「ベーム式バソン」がそうです。この楽器は「信じられない複雑な機構とまったく貧弱な音色を持っていて幸いにしてパリでは人気をえることがなかった」と酷評されています。
この博覧会での酷評がトリエベールのバソンには逆風となり、ビュッフェはその間に勢力を伸ばしたのでは?とかってな想像をしていますが、なぜこの形式が生き残らなかったのか、不思議に思うからです。
録音準備中です、しばしお待ちを。
ビュッフェ
ビュッフェがもたらした最大の新機軸は全長を延長したこと(低音域の音程改善か?)ではないかと思います。
実はトリエベール、初期のビュッフェはよりバロックファゴットに近い吹きごごちです。写真の楽器(多分戦前のモデル)は自分がメインで演奏している楽器ですが、聞き慣れた「バソン」の音がします。
周りの人たちから見れば、このバソンも「古楽器」なのでしょうが、私にとってはもう十分「モダン楽器」の範疇に入ります。
写真のビュッフェで演奏しています。
A=440 フルートアンシャンテにて
師匠である西村孝志師から譲り受け使っていた名器で、現在は師匠の元にあります。
ヘッケル登場以前の名手たち
パリ音楽院初代教授 E.オジ
ÉtienneOzi(1754 年12月9日 - 1813年10月5日)は、フランスのバスーンニストで作曲家でした。彼の作品は、バスーンの発展に影響を与え、古典的なバスーンレパートリーの定番として今も演奏されています。演奏家としてのデビューは1779年のコンサートスピリツェルで、Oziはパリのプレスの賞賛を受けました。コンサートスピリチュアルにはその後 12年間にわたり36回の出演し、自作も19回演奏しました。
コンセルバトワールの初代教授でもあったOziの教則本(1803)は7鍵(おそらくポルトー?)の楽器のために書かれましたが、最初のバスーン教則本として知られています。
ロンドンの名人 バウマン
バ ウマンは19世紀のロンドンに君臨したフランス流の名人で、サヴァリーJrの楽器を使っていたと言われています。アンソニーベインズの名著「木管楽器とその歴史」の なかで当時のイギリス流フランス流に関する記述があります。「イギリス人たちのおおざっぱなリードはタンギングに特別な力が必要でメゾフォルテ以下では使 い物にならない」「フランス人の頼りないリードはベーコンを揚げる音か七面鳥が庭を這い回るような演奏になる」などなど。しかしバウマンは「類い稀な呼吸 法とヴィブラートにより、”死者の骨のうちにも魂を呼び起こす”ような霊感に満ちた音を持っていた」そうで、この表現が伝統的なフランス流のバスーン奏法 をよくあらわしています。
バソンの元祖ヴィルトーゾで、フレンチバソンの生みの親 J.ジャンコート
19 世紀、ドイツのワイセンボーンと並んで最も重要なバスーン奏者がオペラ座の首席奏者、パリ音楽院教授を務めたジャンコートです。
コンセールスピリチュアで1839年~40年にかけて、サヴァリーのテナルーンでソロを演奏した記録が残っているなど。ソロ楽器としてのバソンの地位を確立しました。また、ジャンコートは フレデリック・トリエベールやビュッフェと協力してバスーンの改良に努め、その新しい楽器を駆使したヴィルトーソでもありました。
2つの教則本(今でも出版され利用されています)とバスーンの名人芸を駆使した作品も作曲し、自ら演奏して聴かせていました。 どんな難しいパッセージでも美しく演奏できた驚異的なテクニックと人の声に近い音色で歌い聞かせ、聴衆を魅了したといわれています。
どんな難しいパッセージでも美しく演奏した驚異的なテクニックと人の声に近い音色で歌い聞かせ、聴衆を魅了したといわれています。
トリエベール家の功績
19世紀パリのダブルリード楽器のメーカーとして、親指版式オーボエの発明(ロレーが引き継ぎました)など、たいへん重要な役割をはたしたのがトリエベール一族です。失敗に終わりましたが、ベーム式バスーンの製作、ジャンコート、ビュッフェとのバソン改良なども。
ギョーム・トリエベール Guillaume Triebert(1770-1848)と彼の息子フレデリック・トリエベール(1813-1878) は、19世紀フランスの代表的なオーボエ、バスーンメーカーでした。ギョームは1810年に古典的なオーボエを改良するためアトリエを設立しました。そこ であらゆる種類の木管を作りましたが、彼自身はダブルリード楽器に集中しました。 ギョーム・トリエベールのオーボエ、コールアングレ、バリトンは1827年から1867年の間に貿易展示会で8つのメダルを獲得しました。
ギョー ムの最年長の息子チャールズは著名なオーボエ奏者でしたが、オーボエを作っていませんでしたが、フレデリックもオペラ・コミックでオーボエを演奏してお り、後に父ギョームの楽器製造会社に加わりました。ギョームは1840年に初めて機械化されたオーボエ「Systeme 3」の特許を取得しましたが。その後もオーボエにもたらした機械的および音響的な驚異的な一連の改良は、近代オーボエとの基礎となっています。
また、フレデリックはブソーネンのユージン・ジャンコートと協力してバスーンを改善しました。このようにフランスのダブルリード楽器の開発における トリエベールの重要性は誇張されることはありません。
フレデリックが1878年に死亡した後、同社は破産。あとを引き継いだのは Gautrotという人で、1881年に会社の資産を購入し1885年までTriebertの名前でダブルリードの機器を製造しました。
Triebertマークは少なくとも1955年まで使用されていました。Triébertの伝統は、現在のF.LoréeCompany of Paris(パリ音楽院の公式オーボエとなったシステムを開発したフランソワ・ロレー)が継承しています。
ビュッフェ家の人々
現在も続く総合木管楽器メーカー「ビュッフェ・クランポン社」のルーツ
デニス・ビュッフェ・オーガー
Denis Buffet-Augerは、1783年7月28日にLa Coutureで生まれ、Dreuxの近くで木造家の家族に生まれました。彼はMarie-Anne Augerとの結婚後にBuffet-Augerとして知られるようになりました。 1825年、彼はパリに楽器製作のための工房を立ち上げました。これはまだ運営されていて、木管楽器の主要メーカーの1人です。ジャン・ルイ・ビュッフェは彼の息子でした。 Denis Buffet-Augerは1841年9月24日パリで死去しました。
オーギュスト・ビュッフェ・ジュニア
Auguste Buffet jeune(正式名Louis-Auguste Buffet)は、1789年8月6日にDenis Buffet-Augerの弟La Coutureで生まれました。 Augusteは1813年にから楽器を作りはじめ、1830年にはパリに工房を移しました。 1830年代に、彼は2つの新しいバスクラリネットを設計、製作し、改良Boehmシステムフルート(フルート奏者Victor Coche)を開発し、H.E. Kloséは、いわゆるBoehmシステムクラリネットを発明しました。
このシステムは、依然として最も一般的には、クラリネットに使用されています。 1840年代初め、P.J.R. Solerは、彼はBoehmシステムのオーボエを開発したが、これはあまり成功しなかった。 Louis-Auguste Buffetは彼の息子でした。 Auguste Buffet jeuneは1864年9月30日Anetで死んだ。
ジャン=ルイ・ ビュッフェ
Jean-Louis Buffet-Cramponとも呼ばれるJean-Louis Buffetは、1813年7月18日、Denis Buffet-Augerの子としてLa Coutureで生まれました。 1830年ごろ、彼は父親オーギュストによって設立された楽器製造会社で働き始め、1841年の後半に後を引き継ぎました。ビュッフェは1836年にゾー・クランポンと結婚し、1844年までに彼の会社はビュッフェ・クランポンとして知られ、現在に至ります。彼は1865年4月17日にパリで亡くなりました。
ルイ・オーギュスト・ビュッフェ
Louis-Auguste Buffetは1816年7月15日にAugustet Buffet jeuneの息子Anetで生まれました。 1845年にオーギュスト(ルイ=オーギュストが自分自身と呼んでいた)は、パリの父親のワークショップで働いていました。 1859年から1862年の間に、彼は木管楽器製造に関するいくつかの特許を授与され、父親が死亡した1864年に彼は事業を引き継いだ。彼は1884年4月7日パリで亡くなりました。
オトテールが原型を作ったフレンチバスーンはプルドン〜ポルトーサヴァリーjrらの楽器と当時の名人奏者たち、オジやバウマンらによって独特の音色(まさにフランス流の美意識)を確立しました。
そしてその後を引き継いだジャンコートの要望に応えてトリエベール、ビュッフェらが成し遂げた改良で、現在のフレンチバスーンのシステムが確立し、今もビュッフェクランポンで製造されて進化を遂げています。
フレンチバスーンは20世紀以降、フェルナンド・ウブラドゥー、モーリス・アラール、ポール・オンニュ、ジルベール・オダンなどの名手たちよって継承されてきましたが、フランス以外のオーケストラには演奏する奏者はほとんどおらず、本国フランスでさえドイツ式の楽器が増えており、今や絶滅危惧種などといわれています。
ミュンヘン国際コンクールを制した、ジルベール・オダン以降、独特の音色は現代のオーケストラ事情に合わせて、アラールやオンニュの時代と比べると微妙に変化しつつあり、新しく設計されたモダンバソンもそうなってきました。
また、バソンのボディにドイツ式のキーシステムを搭載した合いの子の楽器(デュカス社製)も登場しています。ドイツ式のオーケストラが曲によってはバソンを使ったりする日もやってくるかもしれませんね。
現代の演奏家は国際交流も盛んです。オーケストラプレイヤー求められる機動性を高めながら、聴衆が求める音色、を満たしていくのが演奏家の務めではありますが、オーケストラの木管群があまりにも「よく似た音」になっていないでしょうか?
そろそろ、オーケストラの木管楽器群は昔のように「独自の音色」こだわってもいいのではないかと思っています。
二口 晴一
今は、古いビュッフェを自分のメインの楽器としていますが、かつて あるプロのアンサンブルに呼ばれた際に実はトリエベールとフォックスで1、2番を吹いたのですが、相方の感想は「その楽器はハイブリットですね」というものでした。
トリエベールバソンはバロック&クラシックファゴットの良さを残しつつ、ドイツ式ファゴット、フランス式バソンのちょうど中間くらいの音色をもっています。ビュッフェよりも太い内径、短い全長をもつのトリエベールは自然とリードのサイズが大きくなるのでビュッフェよりも低音域が安定しているのです。そして中音域はリングキーを多用しており、バソンより通気性がよく、バソンの弱点(ミ、シが低いこと)も改良されています。そして高音域はいわゆるバソンらしい音色です。
大きめのリードを使うことによって、ふくよかな音、すこし荒々しい音など表現の巾も広く、この楽器が現代まで生き残って、他の木管楽器のように全体の音量を増やすなどの改良が続けられていたら、もしかしたら私たちはまったく違うファゴットセクションを聴くことができたのかもしれませんね。
